昨日、「ゆう・えん」主催のお江戸まちあるきに参加してきました。
これは江戸時代を感じられる旧跡などをガイドさんと共にお散歩するという江戸時代小説の大ファンのルビママには堪らない企画。以前から何度かお誘いを受けていたのですがなかなか都合が合わず、やっと念願かなっての参加となりました。今回は吉原界隈のお散歩。吉原は小説にも度々出てはくるものの、現在の東京ではどの辺にあたるかも知らず・・・。(台東区千束です。)
数日までの雨の予報も前日には曇り予想に変わり、当日は晴天!! さすが無敵の晴れ女のルビママ(笑)。
日比谷線「三ノ輪駅」に集合してお散歩開始です。
ガイドは山口則彦先生。講談の台本なども書かれているという「お江戸」のスペシャリストです。
まずは駅からすぐのところにある浄閑寺。
ここは遊女の投げ込み寺とも言われたお寺です。
「生まれては苦界 死しては浄閑寺」とまで謳われたた2500人もの新吉原の遊女たちが眠っています。吉原で亡くなった遊女たちは、菰巻にされて夜間お寺の門前に捨てられていたとのこと。捨てられた遊女たちの平均年齢は22歳だったとの話に心が痛みます。
遊女たちの合祀されたお墓。
放火の濡れ衣を着せられて火炙りになった遊女。毎年命日になると火事が起こるため、遊女の怨念に違いないと供養のお地蔵様が建てられたそうです。
遊女「若紫」の墓。明治時代の遊女若紫は、大変美しく気立ての良い売れっ子花魁で、普通だと10年以上かかる年期明けを5年で迎え、あと5日間で自由になれるというときに客に刺殺されてしまったという気の毒な女性。
あまりにもかわいそうだということで置屋角海老が墓を建てて供養してくれたとのことです。明治のことなので、若紫の写真も残っており、薄幸の美女の一生に胸が詰まります。
ここでは遊女の源氏名についてのお話など、とても興味深いお話をしていただき、やはり解説付きのお散歩楽しいということを実感。
首洗いの井戸。かたき討ちのため江戸に出てきた兄弟の侍「助七と助八」。兄が返り討ちにあってしまい、弟がその首を洗ったという井戸。そこに再度かたきがあらわれ、弟も命を落としてしまったとのこと。二人のお墓もありました。
江戸時代は草深い村里だったと思われる浄閑寺界隈。墓に眠る多くの遊女、侍たちは、ビルに囲まれた寺の土の下で何を感じているのでしょうか。
さて、お次は。
目黄不動尊。
目黒。目赤、目白、目青、目黄という「江戸五色不動」の一つ。
とはいえ、江戸時代の文献には目青と目黄はでてこないようで、もしかしたら明治以降のものかもしれない・・・らしいです。
お散歩はまだ始まったばかりですが、
~つづく~